
まずは、私はすっかり現代人向けの「冒頭に大体の登場人物の立ち位置の説明がある」というのに慣れすぎていて、しばし原節子さんの役柄の紀子の立ち位置がわかりませんでした。。。会話の仕方から周吉さんととみさんの実子ではないことはわかって、長男の嫁?は、すでに出ているし、誰かの嫁?娘?娘はこんなに大きくないか…としばらく見たら戦死した次男の嫁とわかりました。辛抱が足りないぞ。ちょっとWikiまで読んじゃったよ。(ダメな現代人)
娘と息子がえらく冷たくて、長男の子供達の口の悪さや返事のしなさすぎに「コラ!返事せんかい!!」「なんだその口の利き方は!!」ってテレビ越しに叱ってしまった。。昔のひとは「ひどいわよ」って叱るんですね。お上品だ。というか、やはり昔の日本人は言葉遣いが上品ですね。そしてそんなモヤモヤを抱え、さらに長女とその夫の饅頭のくだりでやっぱり「ええええ!!食べさせてあげようよ!一緒に食べようよ!!」ってテレビに向かって昭和のオヤジの如く喋ってしまった。。熱海の温泉宿の話に関しては、昔の新婚旅行は集団で行ったことを思い出し、実際こんなことあったのかなー、あったとしたら今なら旅館側が注意したりクレーム騒ぎになるのだけれど、いい意味でも悪い意味でも大らかな時代だったんだなーと思いました。でもこんなこと思ってしまうあたり、もう!私ったらつまらない現代人!
海を見る老夫婦の後ろ姿の画がとても切なかったです。美しかったですけどね。白黒なのに青い海と青い空を感じました。
家族の崩壊がテーマとのことで、親は変わってしまった子供達を嘆き他人である紀子の暖かさに感謝をしていますが、子供である長男、長女、三男には今まで積み上げられてきた様々な葛藤や思い、今の生活などもあり仕方ない部分もあるのかもしれないとも感じました。(でも長女はちょっとあからさますぎかなあ…老夫婦に言うこととと裏で言うことのギャップがありすぎてひどいと思った。それが脚本の狙いかな。)
紀子は他人で積み重ねた時間も少なく、距離があるからこそできる優しさであり、老夫婦には温かいものに写ったわけだけれど、それが最後の最後で義理のお父さんにだけ同性の義理のお母さんには言えなかった「ずるさ」や「時間薬で失いつつある夫への気持ちの薄れ」を心が苦しくて暴露してしまうシーンが切なかったです。紀子の気持ちもわかる、だが暴露された周吉さんも寂しいだろうな。「それでいい」とゆるしていたけれど。
でも夫婦で子供は可愛い、でも変わってしまったけれど「それでも良い人生でした」と言い合える二人はとても幸せなご夫婦だなと心が救われ、冒頭と終わりで同じ日常、同じ構図でそこに一人足りない寂しさをありありと表現されていて観終えてからじんわりと寂しくなったりしました。
そういえば観ている間じゅうたまに見せる紀子の表情に違和感があって「これは昔の女優さんの演技の方法なのかな?」と思っていましたが…隠していた思いがあったということだったんですね。昔の映画は台詞回しが文章的…と言うか、カメラワークの関係なのか、紀子の心の裏が表に出ているのかむしろ相手に見せているのか、表と裏の境目が曖昧な感じがして、観ていて違和感として出てきてしまった感じがしました。表現方法は本当に時代で変化しているんだな、と実感。この表現方法の違いや情感や余白を楽しむことが古い映画の醍醐味かもしれませんね。私は映画を多く観ている方ではないので偉そうなことは言えませんです。あくまで個人の感想です。
映画の表現方法で思い出したのが、私は相槌や返事を頻繁にする方なので、語りかけたものに無言でいる状態とか、目だけで語る演出に「余白」を感じるまえに「ええ!返事しようよ!」って思っちゃうタイプです。「かもめ食堂」や「すいか」でも何度か同じことを感じたことがあります。ツマラナイ!そういう雑念が入ってしまう私ツマラナイ!
と、つらつらと書いていたらモヤモヤが晴れてきて、一晩寝たら気持ちも現実に戻ってきました。(文章がおかしなところがあったらごめんなさい。)なるほどこれが名画なんだな。また改めて観てみよう。そういえばなぜデザイン関連のひとがこの作品を観ているのかな…と冷静になってみれば
カメラワーク!!!
そうだよ、そこに注目すべきでしょ!んもう!話に夢中になってカメラワークとか注目してなかったよ!!
と言うわけで、また改めて観直したいと思います。
